(注:このブログ、及び私ツタヤはCD・DVDレンタルのTSUTAYA様とは何も関係ございませんので、ご了承ください。)

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ツタヤのブログをよく読んでくださる方は、どっちかというと現実的・具体的で「臭いものにはフタ」というよりは「ニキビがあったら潰す」みたいな方かな?と思います。

そんな方には面白くないエントリかもしれませんが、今回も自分にとっての防備録を兼ねて続けさせて頂きます。
でも今回は「どぎつい」の方向性が精神崩壊方面にに働きかねない内容なので、読んでくださるとしたらご注意願いますm(._.)m
※ちなみに今回のエントリだけで完全にまとめる自信はないので、多分またこんなのをどっかで書くかもしれません。

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「人は幸せであるべきだ」
ちょうど10年前、まだ自分が多治見のド田舎で高校生している時、確か登下校の最中に自転車乗りながらふと思ったことでした。
それ以来、ツタヤの中でその言葉は10年間揺らぐことのない格言として生きています。

(蛇足で話すと、その延長で「自分は幸せであるべきだ」って思ってたから、浪人時代の幸せじゃなかった自分に絶望して心を病んだりとか、その影響で身も蓋もないリアリストになったりしたと思いますorz)

ただ、同時に、10年前からずぅぅぅっと疑問に思っていたことがありました。
「でも、どうすれば幸せになれるんだ?」

お金を持ってても幸せじゃないかもしれないじゃないですか。
時間に恵まれていても幸せじゃないかもしれないじゃないですか。
たくさんの人に愛されていても、幸せじゃないかもしれないじゃないですか。
もちろん「お金」「時間」「愛」なんてレベルになると、十分に満たされていたら幸せじゃない確率は格段に少ないでしょうが、それでも完全なイコールを成り立たせるには何かが足りない。

考えても考えても、ツタヤの中でしっくりくる答えが見つかりませんでした。

そんな疑問でしたが、1月の終わり頃に、突然しっくりくる答えが見つかりました。
「ありたい自分であれること」「自分を好きであれること」だと。

もうちょい言うと、「自分の思い通りに生きれること」「思いが伝わり理解し合えること」「共感し合えていること」とか。

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そもそも根本的なことに気づけないままだった気がしました。
人間の動作や状態をいわゆる "do"、"have"、"be" で分けたとすると、幸せかどうかというのは "be" の範疇じゃないですか。
対して、お金や時間があるというのは "have" 、愛されることでさえ "do" の領域。
幸せかどうかを考えたとき、一番大事なのは "be" であって、 "do" や "have" は所詮 "be" を少しでも良くするための手段でしかない。

お金をたくさん持っていたって、自分のことを好きになれなかったら、言い訳するように浪費するしかない。
時間がたくさんあったって、その状態でありたいと願えなかったら、退屈な時間が過ぎるだけ。
どんなに人から愛されたって、たった1人、本当に愛してもらいたい人から愛されてないとしたら、そんな自分には自信が持てなくて、好きになれない。

なんてふうに、どんなに "do" してどんなに "have" しても満たされないケースってある気がするんですよ。
本当に幸せになるには、「自分自身がありたい状態にあるか」「自分のこと好きになれるか」って、いわゆる "be" をなんとかしなきゃいけない。

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でも、"be" の部分って、一番分かりにくい部分だと思うんですね。

"have" なんて見れば一発で分かるし、"do" だって注意してみれば分かる。
対して、"be" は心の中。
強がっちゃう人や自分に素直になれない人だったら、いとも簡単に嘘をつける部分だと思います。
「私は今幸せなんだ」って、言い聞かせることによって。

しかもタチ悪いことに、「言い聞かせ」は、本人すら気づかないことがある。
何て言うか、言い聞かせる癖のある人って、往々にして怖がりなんですよね。
「ありのままの事柄」だとか、あと「ありのままの自分」を、直視できないくらいに。
でも自分でさえ気付けないことに、他人が気付ける可能性って結構低くて。だから結局見過ごされてしまい、やがて崩壊する。

例えば旦那さんに暴力されたり浮気されてる女性が「でも結婚できて生活できてるから幸せだ」「子供がいるから幸せだ」とか思ってたとするじゃないですか。
幸せなわけないじゃないですか。
こう言う人はその子供に溺愛していくか、もしくは他に男でも作らない限り心を病んでいくしかないと思うんですよ。「私は幸せなんかじゃない」って認めない限り。

ってまた例えちゃいましたが笑(←前回エントリ)
こういう人って、ツタヤに言わせると、ありたい "be" と現状の "be" の落差を正確に捉えられないがため生じた悲劇なんですよね。
もうちょい分かりやすく言うと
「ありたい自分」と「現状の自分」の乖離を直視できず、自分を見失ってる
みたいな。

でも、こういうケース、結構たくさんあると思うんですよ。
それくらい、"be" を判断するのって難しい。
つまり、幸せになるのって難しい。

※ちなみに上の例では、この女性にとって「夫がいる」「子供がいる」「生活できる(金がある)」ってのが "have"、で「暴力される」「浮気される」ってのが "do"。その結果幸せか幸せじゃないかってのが "be"。

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ただ、もしツタヤが今回立てた「仮説」が正しくて、幸せになるために必要なのが「ありたい自分であれること」「自分を好きであれること」であるなら…

幸せになるために絶対に必要な条件として
「自分に嘘をつかないこと」が挙げられます。

上の例で「私は幸せだ」って思ってる女性は、心狂ってしまうのが怖くて自分に嘘をついているじゃないですか。
(で、結局最終的に我慢できなくなって心壊れてしまうパターンだと思いますが)
自分に嘘をつくことや自分を直視しないことで、当面やり過ごすことはできますが、そんなのあくまで「対症療法」であって、何の解決にもならない。
本当に自分を好きになるためには、最高なのはその原因を取り除くこと(ここでは夫に改心して謝ってもらうこと…なんですかね?)をしないといけない。そのためには、最低でも「私は幸せだ」なんて言って自分の本心を見て見ぬふりしてちゃいけないと思うんですね。
自分に嘘ついてちゃ「ありたい自分」「好きな自分」を見誤っちゃうと思うんです。

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いかがでしょう?
ツタヤっぽい、えげつない幸福論・∀・ノ

昔っから「言い聞かせる」ってのは大嫌いだったのですが、よくよく考えてみると、何で言い聞かせるかっていうと、幸せじゃないからで。
逆に言い聞かせなくても自分が幸せを感じられる状態であれば状態であれば、お金も時間もなくて、しかも愛されてなくても、きっとその人は幸せなんじゃないかって。

まぁもちろん「自分をもっと好きになるためには、もっと稼げる自分であることを証明しなきゃいけない」だとか、そういう風に "have" とかが "be" に絡んでくるケースって往々にあると思いますが。
とりあえず、今日の時点では幸せになるための条件として
「ありたい自分であれること」「自分を好きであれること」
っていう
"do" や "have" よりも "be" に関わる部分である
ということについて言及して終わります。
もしかしたら、そのうちまたまとめ直して新たなエントリ追加するかもです


※皆様
ツタヤは本当は「ビジネス」だとか「営業」だとかより、こういうメンタル的な部分(特に「幸せ」について)の方が興味あるんですよ・ω・;
まぁそればっか考えてるわけでもないので、いろんなネタをアップしてますが・∀・v


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2013.02.23 / Top↑
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