(注:このブログ、及び私ツタヤはCD・DVDレンタルのTSUTAYA様とは何も関係ございませんので、ご了承ください。)

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のっけでつまんないこと書きますが、ツタヤの人生もあの地震で相当変わったと思います。

当時都内でMRをしていた自分は、地震が起こった後、不謹慎にも「今こそアピールチャンス!」と、得意先のお医者さんや薬剤師さんのところに行ってウェットティッシュを配ったり、渋滞を話のネタにしたりしていました。
事の重大さを肌で感じたのは、渋滞が悪化し夜中にやっと家について、テレビをつけた瞬間でした。
あの津波の映像。
今でも思い出すと、鳥肌が立つどころじゃない感覚を得ます。

その後はコンビニ商品やガソリンの配送遅延、原発のニュース…
何を知っても、自分の不謹慎さを懺悔したくなるばかりでした。

同時に、人生いつ誰がこんな悲しい出来事に遭遇するか分からない。ってことを、頭じゃなく感覚的に分かりました。
そして思ったのが、「おれ、こんなことしてていいのかな?」ということ。
今自分が生きてることをもっと大切にしないといけない気がして、独立しようとしました。

結局独立は諦めましたが、そんなわけで、ツタヤにとっては決して風化させてはいけない思い出。
地震から4ヶ月後の2011年7月に被災地をこの目で見て回ったのですが、今日その中の1つの場所に改めて行って来ました。
(記録は 被災地現状レポ のシリーズにまとめてあります。全7回)

・・・・・・・・・・

実際行ったのは、福島県いわき市の北部に位置する「久ノ浜」(ひさのはま)という地区。
(上述の記録だと2つ目に当たります。→被災地現状レポ 2
この地区は原発からは南に30km以上離れており、よく話題になっている北西部の浪江町などと比べると全然放射線の影響は薄いところです。
ただ、海沿いの地域で、津波の被害はモロに受けたところでして、2011年7月に訪れた際は

1107162
(2011.7 海側の堤防から)

このように、ガレキを撤去しようにもショベルカーが足りてない、という状態でした。

あれから1年半以上経って、今朝久ノ浜駅を出て浜辺の住宅街に向かい、最初に飛び込んだ景色は、こういったものでした。

0.201303
(2013.3 海沿い住宅街の入口から)

ガレキは片付いているものの…家を再び立て直す気配すらない。

・・・・・・・・・・

他、以前撮っていた写真と比較できそうな場所が4つあったので、写真を載せますと


<場所1:駅からの入口付近>
1.201107
(2011.7)

1.201303
(2013.3)

<場所2:場所1から少し右に行ったところ>
2.201107
(2011.7)

2.201303
(2013.3)

<場所3:場所2の向かい側(場所1の左奥側の建物)>
3.201107
(2011.7)

3.201303
(2013.3)

<場所4:堤防沿いの建物>
5.201107
(2011.7)

5.201303
(2013.3)

やはり地面のガレキは片付いているものの、そこから先がほとんど手についていない状況だと伺えました。

・・・・・・・・・・

これって、どういうことなんでしょう?

ツタヤの勝手な推測ですが、きっとこの周辺はJR常磐線も通っていて国道6号に面していて、交通の便は悪くはないと思うのですが、それでも過疎化が進んでいる地域だと思います。
正直ツタヤがここで育ったとしたら、高校卒業後もっといろいろあるところに住みたいって思う気がしたからです。
加えて、決して遠くない位置に原発あり、地震の後はより過疎要因が増えたと思います。

それを考えると、避難された方々がそのまま別の場所に映られて、そこで定住することにして、この地を捨てたってことも考えられます。
実際お年寄りの方々は、いわき市街地の方が小売店や医療機関だって充実しているでしょうし、住みやすいと思います。

でも、元々住宅のあったこの地が、今荒地と化して、元々あったコミュニティなども破壊された。
そして2年経った今でも、まだ別の何かが根付いていない。

って考えると、少なくともこの地を見る限り、まだ震災は全然終わってない。
ツタヤとしては、そんなふうに感じました。

・・・・・・・・・・

そんな中で、2組のボランティアの方々をお見かけしました。

1組目は、堤防の上で花を用意されていた方々です。

201303-1

ちょっと忙しそうだったので話しかけなどは出来ませんでしたが、「絆ジャパン」という福島で活動されているボランティア団体のようで、新聞のカメラマンさんも近くで彼らの活動を写していました。

2組目は、無料でそばの提供を行っていた方々です。

201303-3
(荒地の真ん中にあったテント)

201303-4
(頂いたそば)

こちらは地元のお蕎麦屋さんと高校生の方々を中心としたコラボで、先にそばを一緒に打ったりして、ここで炊き出しをしようという趣のようでした。
せっかくミーハー的に横浜から来たのに、お金を落としてこないのは悪だと思ったので、リーダーらしきお蕎麦屋さん店長?に助言して、そこらにあったダンボールで募金箱を作って頂き、そば代に気持ちを乗せて募金してきました。

3月10日。晴れ。
とは言っても、正直いわきの朝は東京や横浜の2月並みには寒かったです。
そんな中で一生懸命こういったご活動をされている方々には、頭が上がりませんでした。

地震の前のありし日々には、きっと戻れない。
でも、被災者の皆様の笑顔は、別の形できっといつか取り戻せる。
お2組の団体さんのご活動を目にして、何となくそう感じることができました。

・・・・・・・・・・

正直ボランティア活動に行くとか募金するとか、口で言うのは簡単だと思いますが、実際ボランティア行こうと思ったら時間合わせるの大変ですし、募金だってこのご時勢自分の生活を削って多額のお金投げるなんてできませんよね?

でも、そこで居直って無関心になるのって、最悪だと思うんですよ。

1番重要なことって「忘れないこと」なんじゃないかな?って思いながら、今回こんなブログを書いてみました。



~おまけ~
福島県の銘菓対決!!

赤コーナー ままどおる(郡山)!!
ままどおる

青コーナー じゃんがら(いわき)!!
じゃんがら

あなたの好みは、( ○ ´ ー ` ● )どっち?
(僕は黒あん好きなのでじゃんがら派です)


~関連エントリ~
2011年7月、地震から4ヶ月経って、福島県・宮城県・岩手県を回ってきました。
被災地現状レポ 1
被災地現状レポ 2
被災地現状レポ 3
被災地現状レポ 4
被災地現状レポ 5
被災地現状レポ 6
被災地現状レポ 7


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2013.03.10 / Top↑
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